もうかれこれ16年になりますが、英語という言語を「技術」として生徒さんたちと一緒に勉強させて頂いてきました。始めからずっと「せんせい」とか「センセー」、あるいは更に「先生」と呼ばれることに思いっきり抵抗を感じて、「どうぞそれだけはご勘弁ください。」とお願いしてきました。おふざけで「お師匠さんと呼んでくださいな」などと言ったこともありました。
と言うのも、むか~し中山千夏さんが某新聞に元気に書いていらしたコラムの一部が何故かずっと頭に残っているからなのです。「『先生』と呼ばれる人にろくな人間がいない、特に国会議員の中にその傾向が目立つ、云々」ということをお書きになっていらして、いたく感動したものです。「先生」と呼ばれてしまった時点で、そこから先に「もっと学ぶべき物事」が無いという錯覚に陥ってしまう危険性を恐れるからです。その点、お江戸の頃の「お師匠さん」は「センセー」の「上から目線」的な印象とは程遠い、何か優しい、下町の長屋的な雰囲気の溢れた言葉に感じます。
さて、「国際=International」という単語が廃れ始め、代わりに「グローバル」という言葉が盛んに使われ始めて久しくなります。「国境の無い~」という名前のNGOがわらわら出現したり、「グローバル企業」なるものが地球のみならず宇宙にまで飛び出してご商売に精を出す昨今、「もっと学ぶべき物事」がやたら増えすぎて、「センセー業」などとても成り立つものではありません。
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